前回の記事で、HSPには定義はないと書きましたが、提唱者であるエレイン・N・アーロン教授によると「DOES」という敏感性の切り口は、どんなHSPにも当てはまると言われています。
HS気質をもつ人に当てはまるDOES
DOESは下記の4つの言葉から成り立ちます。
Dは深い Oは刺激 Eは感情的と共感 Sは些細なこと
- 処理の深さ Depth or processing
- 刺激に敏感 Easily overstimulated
- 感情的な反応と共感 Emotional responsiveness and empathy
- かすかな刺激によく気がつくAgreeter awareness of subtle stimuli
確かにこの4つは、HS気質が強い人には当てはまるのではないかと思います。ただ非HSPでも当てはまる項目はあり、どこまで?という具体的なものは示されていないので、定義としては曖昧です。
曖昧で微妙な話が「HSP」には多く、HS気質をもっていても、当てはまらないこともあります。エレイン・N・アーロン教授の著書『敏感すぎる私の活かし方』のなかで「HSPは恋に落ちやすい」という話は、私には該当しなかったし、「HSP恋愛あるある」も違うなぁと思ったので、私の場合を書きたいと思いました。
HSPは恋に落ちやすい恋愛体質なのに結婚が遅い!?
HSPは恋愛に慎重で結婚が遅いという話がある一方で、自尊心が低下している女性はそうでない女性よりも男性に惹きつけられる傾向が強いという実験結果があり、HSPは自尊心が低い傾向にあるので恋に落ちやすいという、両極端な話がでてきます。
自尊心とは?
よく使われる言葉ですが、幅広い意味をもち分かりにくいので、調べてみました。
Wikipediaでは、
自分が自分をどう思うか、感じるかである
Goo辞書では
自分の人格を大切にする気持ち。また、自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する態度。プライド。
「人格」や「プライド」はここでは割愛しますが、自尊心は「自分を大事にする気持ち」これがピンとくるかもしれません。
確かに、他者を常に最優先させてしまう自分軸がない人の根底には、「自分自身を大事にする気持ち」が不足している可能性はあるかもしれません。
ですが、
HSP=自尊心が低い
自尊心が低い=恋に落ちやすい
HSP=恋に落ちやすい
でまとめるには無理があり、すべては傾向の話です。
博士の長年の研究の記録によると、HS気質をもっている人は、結婚した年齢が一般的な平均年齢よりも遅い傾向にあったという話がありましたが、本の箇所が探せず、何歳くらい遅いのかは3~4歳だったか?忘れましたが、カウンセリングを行った数千人を対象にしているので、そういう傾向にはあるのかもしれません。
HS気質のある人は、情報を処理するための一人になる空間で、自分の時間を過ごさないと、落ち着かない、結婚するとその空間が保たれず、子育てにおいては、色々なことに過敏に気付きすぎて、燃え尽き症候群になりやすいと言われています。
とは言え、HS気質は、恋愛、結婚、子育てにおいて不利になるとも言えず、すべてのことにおいて言えるのは、個人差がある、人によります。
HS気質がある私の結婚観や恋愛観
これまでにも書いていますが、私は幼少期から体調が悪く、慢性的な疲労感が抜けず、普通に生きているのがやっとでした。
ですので、疲れるようなことは、事前に分かれば、極力避けてきました。そうでないと生きられなかったと思います。
人との付き合いも、体調が悪いと断るし、行くところが、絶対に頭痛が起きる暗くて、一部明かりが強烈なところ、いわゆるデートスポットになりそうな場所は、好まなかったです。
一般的に老化が始まると言われる40代、私はやっと体調がよくなったのは40歳のときで、10歳のときよりも遥かに今が一番元気です。
同級生や同世代の女性が普通にしていたことが、何もできずに、羨ましく思っていたこともありますが、元気になって「はい、恋愛して結婚して子供を産みます!」という気持ちにはならなかったです。
誰になりたいわけでもなく、憧れの誰かがいるわけでもなく、10代、20代、30代に未来を想像し、思い描いていた大人像とはかけ離れた自分の生き方に、当時の私は普通になりたい=「普通になりたい自分」で他者ではない自分が目標でした。
じゃあ普通って何?というと、うまく言えないのですが、体調不良が続いてもうツラくて嫌だ…明日がこなければいい、幸せなんて望まないからただ普通に生きたいと思い続ける状態は、私にとって普通にはしたくなかったです。
しんどくない体になった今、10代、20代に出来なかったことに、取り組んでいます。
特に私は学生時代、満足に勉強が出来なかったので、大人になってから「学ぶ」面白さに気付いてからは、学べる今が一番楽しいです。~10代は遊び・勉強、20代遊び・仕事 と年代ごとに、くっきり分かれていたものが、この年になると曖昧でどれも兼ねて出来ることにも気づきました。
わりと楽しく過ごしているので、子どもがいない、結婚もしていない独身者だと知ると、
「何故、恋愛しないの?何故、結婚しないの?早くしないと子ども産めないよ!」
と聞いてくる&忠告してくる人に、私が答えられることは、
「ご縁があればするかもしれません。でも今はやりたいことがあるので」としか言いようがありません。
親でも兄弟でも親戚でもない、友達でも知り合いでもない、赤の他人の私に、
「一人は寂しいよ。早く結婚しな。寂しい老後になるよ」と配慮して下さり、心配して下さることは有難い、それに対していちいち反応するのもどうかと思うし波風を立てたくないので、
「お気遣い、ありがとうございます。そういうお考えもありますね」とは言います。
私の過去の出来ごとはある程度、親密になれば話しますが、赤の他人に説明し、理解してもらうことは時間的にも難しいし面倒なので、ここで声を大にして言わせてください。
「自分の人生ですから、自分で決めます」
- あなたが遊んでいるとき、私は大半の時間、ベッドで横になっていた
- あなたが勉強しているとき、私は大半の時間、ベッドで横になっていた
- あなたが働いているとき、私は大半の時間、ベッドで横になっていた
- あなたが恋愛をして結婚して子育てをしているとき、私は大半の時間、ベッドで横になっていた
元気で普通の人が経験するようなことが出来なかった私が、全部、すっ飛ばして、いきなり恋愛して結婚して出産して子育てを選ばないといけませんかね?
今の私はやっと中学生2年生くらいを過ごしている、または気持ち的にはずっと中学生なのかもしれませんが、ようやく自分の人生が始まったような気がしていますし、誰に何を言われても私は今が一番幸せです。
境界線=Noの領域はどこからなのか?
上記理由から、私は結婚について触れられるのが面倒なので、その話題で根ほり葉ほり聞いてくる人には境界線、「バイバイ」とシャッターをおろしたくなります。
何度かこれまでにも「境界線」について触れましたが、境界線は何?というと、ここから先は、(自分の安全地帯が阻害されるので)しない、やらない、食べない、関わらない、話さない、入らないという立ち入り禁止のテープを想像していただいて、「No=断る」ラインです。
このNoのラインから一歩も踏み出せない、何かしらのトラウマを抱えている人にとって、「危険な状態になると動けなくなる」と考えられているポリヴェーガル理論が該当するのではないか?という見方があり、近年は、色々な生きにくさは、「自律神経」に問題があるのではないか?という話が多く聞かれています。
ポリヴェーガル理論とは?
生命の危機、(自分のとって嫌な状況)が迫った時に、交感神経だけではなく、副交感神経の一種である「迷走神経」の中の「背側迷走神経系」と呼ばれる神経が活性化し、トラウマに対する反応として、動けなくなる、燃え尽き症候群や体調不良に陥るのではないか?という説です。
ただ現時点での私の見解では、HS気質があっても、生きにくさを感じている人、感じていない人、気質ゆえのトラブルがある人、ない人では何か違いがあるように思います。
そして「個人差がある」という個人差は何において?というと、色々なことやものに対して、「No」がはっきりとしている人と、「No」がまだ曖昧という、感覚的な表現がしっくりきます。
Noの範囲は、人によって違うし、あらゆるものやことの種類によって、広さ、深さ、量、程度は変わってくると思います。