HSPあるあるとか関連記事を読むと、どうやらHSP、繊細さんは友達がいないと感じている方が多いようです。分かるなぁと思う気持ちもありますが、HSPだと公言している人でFacebookで友達が数千人いる人もいたし、それでも友達がいないと思う人もいるし、非HSPでも友達がいない人はいないから、気質よりも自分の心持ち次第というのが結論です。
ただ結果は同じ「友達が少ない」でも背景がそれぞれ違うかもしれないと思ったので、「私の場合」を記事にしたいと思いました。
そもそも友達って何でしょう?
同級生のこと?同級生のなかで仲良くしていた人?職場の同僚?習いごとや大人になって通った学校でたまたま出会った人?よく分からない言葉です。
Wikipediaにはこのように書かれてありました。
友達(ともだち) – 勤務、学校あるいは志、お金などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人のこと。
Goo辞書にはこのように書かれてありました。
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。
Goo辞書のほうが、私の「友達」という言葉から連想する意味に近いような気がしますが、対等な関係で、自分が友達だと思った人が友達みたいです。
何故友達づきあいが苦手、いないと感じてしまうのか?
色々調べてみると、こんな感じでした。
- 気を遣い過ぎて疲れてしまう
- 相手のペースに合わせすぎて疲れてしまう
- 相手の嘘や思っていることが分かってしまう
- 面倒だと感じると連絡を絶ってしまう
- 相手の都合を気にしすぎて、自分から連絡をとらない
- 自己主張が苦手
- 同調圧力が苦手
これらの内容を見て、疲れて苦手なので、一人のほうが気楽でいいと結構分かりやすい、「うん、そうだね…」と思いましたが、その背景は個々に違うような気がしました。
HS気質のある私の場合
私は幼少期から、近所に気の合う友達がいませんでした。母親の具合が悪く、祖父母の家に預けられることが多かったので、その周辺で同じくらいの年の子がいなかったので、一人遊びが大好きでした。
大抵は草を摘んで分解したり、木の実を拾って並べたり、一人でする泥遊びだったり、自分が好きなおもちゃをリュックサックにいっぱいに詰めて背負いながら移動していました。そのおもちゃを使って特別なことをしていたわけでもなく、空想の世界を楽しんでいたわけです。
たまに近所の子たちと遊ぶと、体力がないので、ついていけなかったです。ある日、高いところから飛ぶ遊びをしていて、近所の子の家の門扉の塀から頭から落ちて大出血、コンクリートが血の海で、自分の血で温かく鼓動が波打ち、気が遠のいていきました。
近所の子が私の母を呼んでくれ、救急車を呼ぶ前に、慌てて自転車の後ろに乗せ、病院に連れて行ってくれました。今、思うとすごいパワフルですよね?
たんこぶの上が切れたので、縫うとたんこぶがもとに戻らないから、しばらく血がとまるのを待って、包帯をして治療は終わりました。痛かったけれど、それよりも記憶に残っているのが、そのあとの予定がすべてずれてしまったことに父親が激怒、頭を怪我をしていたので、げんこつはなかったですが、かなり大目玉を食らいました。5歳頃のことです。(話がちょっと脱線しました)
幼稚園、小学校、中学高校でも、行動をともにする人がいなかったわけではないですが、単独行動が大好きでした。同級生から休みの日に遊びに誘われることがあっても、体調が悪いと断るし、騒がしい、人が多いところは苦手なので、断っていました。その同級生との付き合いも、卒業して何十年も経つと、疎遠にもなります。今は1人しか連絡を取っている人はいません。
社会人になってからも、1年~1年半、最長でも3年で急に電池が切れたように動けなくなり退職してしまうので、迷惑もかけるし、そこで知り合った人と友達という関係にもなりませんでした。新卒で入った会社(前回の記事)で、楽はない苦をともにした同期とは今でも稀に連絡をとっています。
社会人になってからは習いごとが出来るほど余裕もなく、趣味もなかったので〇友はできず、今に至るわけです。なので気質も全く関係がないとは言えませんが、体力不足や体調不良が大きく影響していると思います。
また下記のような性質をもつ人がまわりにとても多かったので、「相手の嘘や思っていることが分かってしまう」と「面倒だと感じると連絡を絶ってしまう」というのはよく分かります。実際に私はあまりにも面倒だと感じた人はこちらからは連絡をしない&積極的には会わないようにしていたので、気心が知れた友達ができる機会が少なかったです。
- 頼み事が多い→人の時間を平気で奪う
- 頼みごとがあるときだけ親切
- 親切が何かずれている
- 自分の都合を押し付ける(相手の都合を一切聞かない)
- 自分勝手で図々しい
- 被害者意識が強い→常に人のせいにする
- 気分屋で不機嫌なことが多い
- 寂しがり屋
- 懲りない、反省しない
- 一方的に話す、話をきかない、愚痴る
- 自己主張が激しい
上記のような性質をもっている人でも、最初は楽しそうな感じがして、すごく魅力的な人物に見えました。しかし、会う機会が増えてくると、一緒にいることに苦痛を感じ始め、エネルギーを全部吸い取られていくような感じがして、疲弊していきました。
こういう人を「エナジーバンパイア」とか「クレクレ星人」とか「テイカー」と呼ぶらしいです。「エナジーバンパイア」は心理学用語でも何でもないですが、スピリチュアル系のネット界隈で使われていました。自分を快適にするために、人の時間を当たり前のように奪って生きている人の総称です。ピンとくる人はピンとくると思いますが、よく分からないと思う人もいると思うので、私が出会ったなかでも強烈だったエナジーバンパイアのJさんの話を少しだけします。
私が出会ったあるエナジーバンパイア
Jさんには夢や目標があり、私はそれがいいなと思いました。何よりも楽しそうに見えました。
出会った初期の頃は、何故そんなにマメなのか分からないくらい、気遣いのメッセージをやたらと送ってきました。「今日は元気?」「体調はどう?」「週末はゆっくり過ごしてね」そんな感じのメッセージでした。
そのうち「悪いけど、〇〇お願いできる?」という頼み事が始まりました。最初は簡単なことだったので、少しでも助けになればと承諾しました。
しかしその頼み事はどんどんエスカレート、いつでも自分の都合で、私は面倒ごとを処理するアシスタントのようでした。
それも昼夜問わず、何か問題があるたびに、ガンガンLINE電話やメッセージで、「こまった」「助けてほしい」「お願い」「寂しい」「〇〇をやってほしい」と入ってきました。
呼び出されて、その時間に行っても不機嫌で、イライラを当たり散らし愚痴ばかり、「体調が悪いから気にしないで」と言われ、ならば仕方ないと諦め、多いときはほぼ毎日から週3~4回は手伝っていました。
Jさんには行動パターンがありました。それは面倒なお願いをするときは、食べ物を用意していて、「〇〇のために買ったから取りに来て」とか「ちょっとお茶しない?」「買い物しない?」とモノや行為で人を釣ろうとしていました。必要以上の食べ物はいらない、モノが欲しくない私は、何度も断わりましたが聞いてない、強引に押し付けてくる行為は、お願いごとに対しての対価にはなっていなかったうえに、またお願いごとがくるのか…という前触れでしかなかったです。
そしてだんだん気づき始めたのは、自分はいかにスゴイか?と言うわりには、実際の行動が伴わず、やりたいことがコロコロ変わり、そのたびに人を振り回す、気分屋で人によって態度も変わるし、平気で嘘をつく、約束は守らない、ネガティブな愚痴が多い、最初に会ったときの印象とは変わってきました。
正しくは、Jさんが変わったのではなく、会う機会が増えていくうちに、長所よりもその性質に疲れて、関わっているとストレスがたまり心身ともにもうこれ以上は、生命活動を阻害されるレベルなので嫌だという拒否が始まりました。
常に自分のことをまくし立てて話す人との対話は、イライラ発散サンドバックなので疲れます。それでも頑張って慰めたり、励ましたり、アイデアを練ったり、色々やっても、やってもらうことが当たり前の人にとって、その行為に感謝もなければ、当然で何を言っても聞く耳をもたないので、黙っているのが一番でした。
Jさんがよく言っていたのは「私、友達いないから、友達が出来て嬉しい!」と「私を面倒に感じたら逃げるでしょ?」でした。この「友達」にも「逃げる」という言葉にも違和感がありました。囚われている状態で選択肢が自分にはないような感じが変だなと思いました。
その関係は対等ではなかったので、自分から連絡しない、会わなくなっていきました。
Jさんと出会ったとき、彼女の話に、気の毒に思い彼女を応援し、自分の最大限の時間を使って手伝っていました。そのときは私自身にやりたいことがなかったので、彼女を優先させていましたが、私自身にやりたいことができ、時間がなくなったので、手伝えないというだけです。
Jさんのことを手伝わなくなったあと、彼女の周りにいた人の態度が急変して素っ気なくなったとき、彼女は私のことをなんて言いまわったのか?分からないし、知りたくもないけれど、関わらなくなってよかったと思いました。エナジーバンパイアのJさんとは、一切関わらずに遠くから黙って、うまくいくといいねと願うくらい、離れた距離感がちょうどよかったです。
優しい人は静かに去って行く
「優しい人は静かに去って行く」は、Webの記事やSNSでよく見かける「タイトル」ですが、この続きは、優しい人は怒ることもなく、無言で連絡を絶つだったかな?そんな感じでした。
私からすると、エナジーバンパイアは怒っても話しても無駄なんです。何も聞いてなく、反省もせず、自分勝手でした。(最終的にはこちらが無言になるので、静かに去っていくのには変わりませんが…)
最終的に連絡を絶って静かに去るのにも理由があって、相手に「こういう行為はもうやめてほしい」というメッセージを送ったり、口頭で話しても、急に激高したり泣き出したり、周囲の人に吹聴したり、何をやるか分からない怖さをエナジーバンパイアには感じていました。それ以上にはもう本当に関わりたくないので、自分を守るための最善の選択肢が静かに去るでした。
私は性格がよくないし優しくもない、静かでもなく、言いたいことは言うし、当てはまらないけれど、友達=すべてを許し捧げるような関係、最優先にしてほしいと強要されても、重いし面倒で迷惑でした。
このエナジーバンパイアの特徴としてもう一つあげるとしたら、自分は常に許される(OK)だけど、相手は絶対に許さない(NO)、という神的な感じで相手を常に格下の存在として扱っているところが不思議でした。
静かに去って行くかどうかも人によりますが、「去られてしまう人」には人に依存しすぎるという問題があって、「優しい人」にも相手の課題に立ち入り過ぎるという両方に問題が生じているので、一方が悪いとは言えないです。
このときの私はJさんの課題に必要以上に入り過ぎていたし、当たり前のように人の時間を奪うことを許していた自分も悪かったと反省しました。人は色々な面を持っているのが魅力でもあるけれど、対等ではないな思う発言(バカにしたり)をする人とは、長いつきあいは出来ません。
人間関係リセット症候群
もとからそんなに人付き合いがあったほうでもないのに、30歳のときに家族の介護が始まり、自分自身も体調が常に悪いこれからどうしよう?同級生に自分のその状態を言うことが恥ずかしいと思い、連絡先を変えたことを伝えないということがありました。
それで新しい友達を作りたいとすごく積極的に人と関わろうと、本来の自分ではないようなキャラクターを演じ、必死になってFacebookで投稿したあと、そんなにまでしないといけなかった?我に返ってすごく恥ずかしくなり、SNSのアカウントを削除したことがありました。こういう行為を「人間関係リセット症候群」というらしいです。これも心理学用語ではなく、HSP関連の記事で知りました。
急にSNSのアカウントがなくなってしまった人や連絡先が不明になった人に、何か自分に非があったかな?と感じる方がいらっしゃるようですが、すべて個人の事情によるものなので、気にされなくて大丈夫です。連絡断ちされたから自分はエナジーバンパイアかも?は多分ないです。エナジーバンパイアはすべて人のせいで、自分がエナジーバンパイアだとも思っていません(笑)
私にとって強烈だったエナジーバンパイアのJさんでさえ、返信はしても連絡を私からはしない、頼みごとには応じないだけで、ブロックしたり、アカウントを削除したり、連絡先を変えたりはしませんでした。
考えてみると、同級生との連絡手段である連絡先を絶ったときも、SNSのアカウントを削除したときも心身ともにすごく疲れていて、ツラかったときでした。
本当にツラくなると、人と繋がっていること事態がツラくなったり、一人でいたいこもりたいと思うのは、自分を守るための本能であったり、自然な行為なようです。これは何かの本で読みました。
そしてネットを通して見る、HS気質がある人のなかには、一人でいてもご機嫌でそれだけで楽しい、幸せの沸点が低くて、わりと何でも満足感が得られるような人が多いので、友達がいてもいなくても、多くても少なくても、どちらでもいいように思います。
反対にJさんのようなエナジーバンパイアは、一人でいることへの不安から必要以上に人に構ってもらおうとする行為も同じでこれもまた仕方のない話ですが、人への依存度が高く、不安定になりやすい傾向にあるように思いました。
まとめると、タイトルのHSPは友達が少ない、いないということにお悩みを抱えている人に言えるのは、「今、体や心が疲れていませんか?」そういう状態のときは、友達がいないことを恥ずかしがらず、自分を治すために一人で心地いいと感じる場所や時間を増やしたらいいと思います。
そして元気になったら、友達がいようがいまいが、人と心地いいと思える距離感で付き合えように、人との境界線がどのあたりなのか?を見極めるのが良さそうです。