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ウェルビーイングの根底は幸福と健康だけど、幸せのカタチは人それぞれ

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最近、よく聞かれるようになった「ウェルビーイング(well-being)」は、心身ともに満たされた状態を指します。昨今、ウェルビーイングをテーマにした記事を見る度に、私はモヤモヤしてしまいます。その理由を記事にしたいと思いました。

ウェルビーイング(well-being)とは?

1946年にWHO(世界保健機関)が「健康」を定義した草案のなかで、

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態を指し、単に病気や虚弱がないことを意味するものではありません。

WHO

上記の一文がありました。

だいぶ前から使われていたのに、ここ数年、注目されているきっかけになった出来事として、2021年に開催されたダボス会議のなかで、経済の成長は環境破壊を引き起こし、持続させるのは難しいので、これからは個人の幸せを中心にした経済を考えるべきだという議論の影響が強いなと思います。

コロナウィルスが世界的に感染した2020年くらいから、「持続可能なエネルギーSDGs」も、わりとよく耳にするようになりましたよね?

じゃあ個人の幸せって何?と言うと、心身ともに健康で、人との関わりがあり、満たされている状態が幸せであると、心理学の長年の研究結果からもでているので、ウェルビーイング(well-being)=「心身ともに健康で、社会と繋がり、満たされ幸せな状態」が重要だよね!ということで注目されました。

私はこのウェルビーイングという言葉を初めて知ったとき、随分、高い位置にある幸せで、そうじゃない人は幸せステージ上に立っていないのか?幸せのカタチがなんとなく三角形っぽいという印象をもちました。

それとは反対に、確かに私は健康でなかったとき、将来の夢とか目標とか、そういうことを考えるような気持ちもなかったし、実際に目標を掲げても、出来るような体ではなかったです。そして幸せなのかもよく分からなかったので、それも一理あるかもしれないと思いました。

じゃあ、健康でない人は幸せではないのか?というと、それも違うような気がします。私は生まれたときから、身近に筋ジストロフィー症をもつ人が複数人いて、徐々に動けなくなっていき、自分のことが出来なくなっていく過程を見ていましたが、動けなくなる過程が速かった2人のほうが、病気の進行が遅かった1人よりも幸せそうでした。

ただこれは私から見た印象の話で、自分が幸せだなと思ったら、誰に何を言われても幸せです。

大病をしたり、難病になったり、早死にしたり、もっと言うと、生まれたときから病気であることもあるので、心身共に健康であることが幸せという単純な答えではだせない、深い問題だと思います。

そしてこれまでにも書いていますが、気質や幼少期の両親との関わり方によって、人との関係が希薄になってしまう人がいます。人との関わりがあることが幸せだと、人と繋がれない人は不幸せみたいな捉え方も出来るし、ボッチを楽しんでいる人は不幸せなのか?と言ったら、本人が選んだ幸せなのだから、それも幸せのカタチの一つです。

結局、誰かに決められた幸せなんてなくて、杓子定規な言い方、統計データには当てはまらない、幸せのカタチは人の数だけ存在するので、ウェルビーイングとは?自分が決めることです。

私的なウェルビーイングとは?

過去の私は幸せとは何?と聞かれると、明確にこれとは言えませんが、「自分らしくいられること」だと思っていました。じゃあ自分らしさは何かというと、思考、癖、選択、行動、経験、性格(気質・個性・独自性、長所・強み)などにおいて、ありのままでいられることが幸せだと考えていました。

それは他者に当てはめた話で、私自身はありのままの性格(気質・個性・独自性、長所・強み)でいることは、そんなにいいことのようにも思えませんでした。何の強みも特技もない、やりたいこともない私は何を目標に生きたらいいのか?自分探しは10代、20代、30代になっても続きました。

元気になったあと、私の選択や行動は、具合が悪かった過去の私が絶対に選ばなかったようなことをしています。それが自分らしいか?というと、そういう一面も隠れていたかもしれませんが、過去の自分とは違う選択をしている自分がいいなと思いました。

この経験から自分らしさはいつでも変えることができる、曖昧なものです。特に選択、行動、経験、性格は体調も大きいですが、そのときに関わる人や環境に影響を受け、自分云々じゃない、偶然、予期せぬものとの出会いとそのときの選択と行動で変わるので、自分は何者なのか?に囚われる必要はないなと思いました。

そして現時点での私のウェルビーイングは、自分が心地よくいられるために自分自身を整えることだと思っています。あなたのウェルビーイングは何ですか?

ウェルビーイングと同じくらい、聞くとモヤモヤする言葉に「レジリエンス」があります。

レジリエンスは細かくその力を分類したほうがいい

生きがいや生きる意味を見つける過程で出くわす、困難に立ち向かうための力、レジリエンスは回復力という意味をもちますが、昨今はビジネス、生き方、人生観などを論じるうえでよく聞かれるようになりました。

困難に直面したとき、失敗したとき、諦めたのか?何度も挑戦したのか?後者の何度も挑戦できる人と前者の諦める人との違いにおいて、レジリエンス(回復力)が違うと言われています。

成長過程で体力差はかなりあり、何度も同じことを繰り返してできる元気で体力がある人と、体力のある人の2倍以上、時間がかかる元気も体力もない人がいます。単に不器用とか要領が悪いというよりも、繰り返してできるほど、体が整っていなかったりします。

これは、私がビジネス教材を買って失敗した経験でもありますが、できる人のやり方は、「こんな私でも出来た!」と言いながら、あれもこれもで、寝る時間あるの?というような作業量を頑張ればこなせると平気で言っているため、体力のない、体調が悪い人には100%再現不可能でした。

20歳から10年の間で5回も転職した私は、健康の問題以外に、こらえ性がない性格の問題なのか?悩んだ時期もありました。

あの当時、体が悲鳴をあげて限界だった私が、続けることを選んでいたら、今の私はいなかったわけで、続けてさらに具合が悪くなってしまったら、回復するまではもっと時間がかかっただろうな…過去の5回の決断は間違っていなかったと思っています。

話がそれましたが、言いたいことは、レジリエンス(回復力)は、健康であることが前提の話です。

そして体力のない人は、ある人と同じようには出来ません。日常的にこれならできるという最小から始め、淡々と続けられることを選ぶ、単純に「回復力」では言えない力がそこには存在するように思います。

私が考えるレジリエンス(回復力)よりも重要な力

見極める力

自分のやりたいこと、できることを見極め、自分が無理なく出来るところはどこなのか?ボーダーラインを引くのは、自分を客観的に見ないとできません。体系化する、順序だてる力も必要です。

細分化する力

単に計画するだけでなく、1日の作業量がどのくらいであれば出来るのか?試してダメな場合は、作業量を減らす、簡単にできるように工夫する力も必要です。

編集する力

細分化して、それに沿って一つ一つこなしていくと、全体像が若干見えにくくなるために、帳尻が合わなくなってしまうことがあり、見直して編集する力も必要です。

どんな力があったら、困難に立ち向かえそうですか?

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